「狭い戸口から入る」  04−03−14
                 ルカ13:22〜30

 救い主イエス・キリストにつながっていただき、助けられ、支えられながら、
滅びではなく永遠の命の救いへと導かれていくのが信仰者です。
 主は、そのような歩みへと招きながらおっしゃいました。「狭い戸口から
入りなさい。」 これは、どういうことでしょうか。

 第一に、余計なものを持たないということです。持ち物が多すぎると、主と
共に歩むことができません。この世の生活では、持っている方が良いと思える
事もたびたびあります。
 しかし、主と共に歩む際には、それが妨げとなることの方が多いのです。
地位、名誉、この世の宝、知恵、経験、思い悩みなどに心を奪われて、
イエスさまを見失うことがあるからです。
 逆に言えば、何も持っていなくても良いということです。自分には何もない
からといって、主イエスに救われないと思い込む必要はありません。

 第二に、自分に身を低くし、小さくなることです。それは自分を責め、卑屈になる
ことではありません。
 神さまに対する罪を認め、主に赦しの必要を認め、主に救っていただく必要が
ある自分を認めることです。そのような者を主は喜んで包み込んでくださいます。
 逆に、身を低くするしかできない者でも良いのです。堂々と生きたいと願いながらも、
なかなかそうなれない私たちです。自分の小ささを、いやというほど味わうことの多い
私たちです。
 しかし、自分の欠けや力なさを痛感していても、それが主に救っていただくことの
妨げにはなりません。

 第三に、時間的な狭さです。戸口は永遠に開かれているのではありません。
その戸口から入り、主と共に歩みだすための機会を逃すべきではないのです。
 だからこそ、「今入りなさい」と招いてくださるのです。

 「救われるものは少ないのでしょうか」との問いに、「救う私がここにいるでは
ないか。余分なものを捨てて、身を低くして私のもとに来なさい。
何も持っていなくてもいいから。小さくなるしかできなくてもいいから。」と、
主イエスはお招きくださっています。